クリエイティブのこだわり

こういうこと考えてるとほんまに私は自分が一番の人なんだなって実感するんだけど、
私が撮影においていやだなって思うことやこだわりって、
全部「ジコチュー」の一言で片付く気がするのよ。

・自分から出たアイデアで作品を撮るなら「撮られる側」を自分でやりたい。
  →なので、人へアドバイスする時にはあまり独創性を発揮しません。
   まあクレジットのるわけでもないしそこまでする義理はないよね。とか考えちゃう。
・他人のアイデア」の作品で、言われるがままに被写体をやるのは嫌。
  →そこに自分ならではの解釈や表現…というか自我を足して
   「共同作品」にしたいという欲があるのだと思う。
   特に、群像作品の一部として使われるとかはほんと鳥肌立つほど嫌。別の人でやって…。
   コス作品で展示とかやってるカメラマンさんはこの手の人が多くて、私はほんとに合わなかった。
・基本的には写真をカメラマンとの「共同作品」だと思っているので、
 同じシチュエーションや技法を別の被写体との撮影で使いまわされるのもだいぶ嫌。
  (とは言え似たようなことを自分もやってるかも)

思い出したよ。
こんなんだから個撮ばっかりやってたのよ。

コスプレなんてものは趣味なので、別にたいそうな志やこだわりなんてなくていいんだけど、
なまじ自分にはこだわりがあるもので。
グループで撮影してると「私たちのCPだとどんな構図がいいかな?」とか頻繁にアドバイス求められるけど
基本他人に興味ない&自分のクリエイティブを他人の作品のために発揮したくないので気が乗らないし、
「そもそもアイデアがないなら何をするために撮影に来てる?」とイライラしてくる。
あ、まって。
・「表現したいもの」は漠然とあって、でも引き出しがないから【手段のアドバイスを求める】
っていうのと、
・「人に考えてほしい」し「なんか良い感じの写真を撮りたい」ので、【目的も手段も丸投げする】
っていうのは、天と地ほどの差があるのはおわかりになりますよね?
前者については助けたくなるタイプなので安心してください(誰に言ってるのか)

でもね、こういう考え方って結局クリエイティブな分野で仕事なり趣味活動なりしている人は
多少はあるのでは?と思うのよ。というか、無い人は生み出してないタイプの人なんだと思うのよ。(暴論かな?)
関連して、生成AIへの嫌悪感の有無もここで分かれるのではって思ってる。

自分のアイデアや作品を他人にかすめ取られるのを嫌うのは、アイデアを生み出す側の人間としては当然のことだと…私は思うんだけどね。
しかも、「良い感じのものを思考や努力なしに作りたい」人たちが、何のこだわりもない不気味の谷作品の一部として利用するためだけに無断で学習されるんだから、そりゃやってられないよね。

と、ここまで語って急にまぜっかえすのですが
私がここまでのこだわりを発揮するのは「趣味」においてのみです。
私の「仕事」は、「誰かが演出して作る作品の一部になること」「要求された通りものをお出しすること」なので
まあ多少の抑えきれない自我が出ることはあれど、嫌悪感や変なこだわりはありません。
無理して捨てたりもしていない。そういうもの、という認識。

この、クリエイティブ気質とAIへの嫌悪感についてはお仕事というかナレーション等の分野についても似たような感覚を持っているはずなので、機会があればまた掘り下げてみたいですな。
さあ、今日も夜更かししてしまった。おやすみなさい。